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  1. T.A.Aのカラフルブログ
 

T.A.Aのカラフルブログ

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2026/04/27

虹の端っこに隠された「もう一つの紫」

バイオレット


前回は、1万個の貝を犠牲にして作られた、皇帝の色「パープル」をご紹介しました。

今回は、そのお隣にありながら、全く違う運命を歩んできた色、「バイオレット(菫色)」の物語です。

実はこの2色には、科学的にも歴史的にも、驚くほどの「差」があるのです。


虹に「ある色」と「ない色」


まず最初に、バイオレットは虹の中に実在しますが、パープルは存在しません。

「え?」と思われるかもしれませんね。

バイオレットは、太陽の光がプリズムを通ったときに現れる、波長が最も短い「本物の光」です。

一方のパープルは、脳が「赤」と「青」を混ぜて作り出した、いわば「想像上の色」なんです。

私たちは、同じ『紫』として、その意味をとらえていますが、そんな大きな違いがあるんです。


17世紀、科学者アイザック・ニュートンがプリズムを使った実験で、太陽光を7色(虹の色)に分けた際、波長の最も短い端の色を「バイオレット」と命名しました。

バイオレットという色名が、歴史上、決定的に「パープル」と切り離されたのは、この時からといえるでしょう。

バイオレットは「花の名前」から「物理学的な光の色」という科学的な定義を与えられたのです。



14世紀、詩人たちが名付けた「スミレの色」


「バイオレット」という名前が文献に登場するのは14世紀後半、中世のイギリス。

シーザーが法律で「パープル」を独占した時代から1000年以上経ってからのことです。

スミレの花は、ラテン語で植物の総称「Viola(ビオラ)」から、ヴィオラと名付けられました。

中世の詩人たちは、野に咲くスミレの可憐な姿から、その青みの紫の花色を「バイオレット」と呼び始めました。

権力者のための色名ではなく、詩人や芸術家たちの手によって、この色は名前を与えられたのです。

パープルが「支配」を象徴するなら、バイオレットは「謙虚さ」や「愛」を象徴する、民衆に近い色といえます。





ナポレオンと「秘密の暗号」


歴史的なエピソードとして、バイオレット(スミレ)を愛したのがナポレオンです。

彼が流刑地に送られた際、復活を信じる支持者たちは、スミレの花を「秘密の暗号」にしました。

「スミレが咲く頃、彼は帰ってくる」。

街角でスミレ色の小物を身につけている人を見かけたら、それは「私はナポレオンを支持している」という無言のメッセージ。

パープルが「見せびらかすための色」だったのに対し、バイオレットは「心を通わせるための色」だったのです。


印象派が恋した「バイオレットの影」


19世紀、芸術の世界でもバイオレットは革命を起こしました。

画家クロード・モネは、影を黒ではなくバイオレットで描きました。

「空気には色がある、それはバイオレットだ」と彼は語りました。

それまで、影はただの暗闇(黒)でしたが、モネによってバイオレットの光が吹き込まれ、世界はより鮮やかに、神秘的に見えるようになったのです。


力強く、圧倒的なカリスマ性を持つ「パープル」。

繊細で、知性と神秘を感じさせる「バイオレット」。

どちらが良い、ということではありません。

皇帝のような情熱が必要な日もあれば、ナポレオンの支持者たちのように、ひっそりとスミレの花に想いを託す日もあるでしょう。


紫色が好き、とおっしゃる方は、とても多いです。

あなたが気になるのは、貝から生まれた王の色でしょうか?

それとも、虹の端っこに咲くスミレの色なのでしょうか?




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2026/04/23

高貴なる色に隠された1万個の犠牲

パープル


始まりは「犬の口」から



この色の物語は、今から3500年以上前、地中海沿岸のフェニキア(現在のレバノン)から始まります。

伝説によれば、ある神様が連れていた犬が海岸の貝を噛んだところ、その口の周りが美しい紫に染まっていた……。

これが「貝紫(ティリアンパープル)」発見の瞬間だと言われています。

この貝の正体は「アッキガイ」という巻貝。

しかし、ここからが「色の呪い」とも言える過酷な歴史の始まりでした。




1グラムの紫に1万個の命



貝紫の染料を作る工程は、現代の私たちが想像するよりもずっと過酷です。

貝の体内にある「パープル腺」という小さな器官から、わずか一滴の透明な分泌液を採り出します。

この液を布に塗り、日光に当てると、黄色→緑→青→そして鮮やかな赤紫へと変化し、ようやくあの高貴な紫になるのです。

わずか1グラムの染料を作るために必要な貝は、なんと10,000個以上。

さらに、大量の貝を腐らせて抽出するため、染物工場の周囲には数キロ先まで強烈な悪臭が漂っていたといいます。

まさに「死と悪臭」の中から、世界で最も美しい色が生まれていたのです。



クレオパトラの「色の暴力」



この高価な色を、政治的な武器として最大限に利用したのがエジプトの女王クレオパトラです。

彼女がローマの将軍アントニウスを誘惑するために船で向かった際、なんと船の巨大な「帆」をすべて紫に染め上げたと伝えられています。

当時、紫の布は究極の贅沢品。

それを見せつけることは、「私は世界で最も裕福で、あなたの軍隊を丸ごと買収できるほどの力がある」という強烈なメッセージでした。

言葉よりも先に、色の力で相手を圧倒したのです。




皇帝の色は「禁じられた色」



ローマ帝国において、紫は「権力の象徴」そのものでした。

英雄シーザー(カエサル)は、自分以外の人間が紫のトガ(衣装)を着ることを禁じました。

後の時代には、一般市民が勝手に紫を着れば「死刑」に処されることもあったほどです。

英語で「born in the purple」という言葉が「王家に生まれる」という意味を持つのは、まさにこの時代、皇帝の一族だけが紫を纏うことを許された名残なのです。



ロイヤルブルーへの主役交代



ところで、「ヨーロッパでは青の方が高貴では?」と思われる方もいるかもしれません。

確かに中世以降、聖母マリアの象徴として「ウルトラマリン(青)」が尊ばれるようになり、フランス王室が青を採用したことで、紫の地位は少しずつ変化しました。

しかし、それは「紫が安くなったから」ではありません。

15世紀、貝紫の産地であるコンスタンティノープルが陥落し、本物の紫を作る技術が失われてしまったのです。

手に入らなくなったからこそ、人々は新たな高貴な色として「青」に目を向けたという側面がありました。



18歳の少年が起こした「色の革命」



そんな「選ばれた人だけの色」だった紫を、私たち大衆に開放したのは、1856年のイギリスにいた18歳の化学学生、ウィリアム・パーキンでした。

彼はマラリアの特効薬を作ろうとして実験に失敗しましたが、その時に偶然、ビーカーの中に残ったのが鮮やかな紫色の液体でした。

世界初の合成染料「モーヴ」の誕生です。

この発見により、数万個の貝を犠牲にする必要はなくなり、紫は一気にファッションの主役へと躍り出ました。

かつては悪臭と数万の命、そして皇帝の権力と結びついていたパープル。

今、私たちが何気なく紫の服を着たり、ペンで文字を書いたりできるのは、歴史の偶然と一人の少年の失敗があったからこそ。

犬の口を紫に染めた貝から生まれた紫が、一人の少年の失敗によって、誰でもが手に入れられるようになった‥‥‥。

偶然は必然という言葉が、しっくりくる出来事だと思いませんか?




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2026/04/16

大地の恵みとワインの記憶

ローシェンナ


ローシェンナ(Raw Sienna)というのは、地味ながらもどこか温かみを感じさせる黄褐色です。

一見すると「ただの土の色」に見えるこの色。

実は、世界で最も美しいと言われるイタリアの風景と、美味しいワインに深いつながりがあるんです。



「生の土」という名前の由来



「シェンナ」とは、イタリア・トスカーナ地方の古都「シエナ(Siena)」を指します。

中世の面影を色濃く残す、レンガ色の屋根が連なる美しい街です。

そして「ロー(Raw)」は「生の・原料のままの」という意味。

つまり、ローシェンナとは「シエナの地から掘り出されたままの、天然の土の色」を指しています。

化学合成が進んだ現代でも、この色は「酸化鉄」と「マンガン」を絶妙な比率で含んだ天然の土壌から作られています。

まさに「大地のカプセル」とも言える色なのです。




トスカーナのワインと「同じ母」を持つ色



イタリア・トスカーナ地方といえば、世界中のワイン愛好家が憧れる「キャンティ・ワイン」の産地として有名です。

実は、この美味しいワインとローシェンナの間には、切っても切れない「地質学的な血縁関係」があります。

ワインの味を決定づけるのは、その土地の土壌や気候を表す「テロワール」という概念です。

トスカーナの緩やかな丘陵地帯は、鉄分を豊富に含んだ粘土質の土壌が広がっています。

この鉄分こそが、ブドウの木にミネラルを与えて芳醇なワインを育むと同時に、ローシェンナという顔料に「黄金色の輝き」を与えているのです。

トスカーナの太陽を浴びて育つブドウと、その足元に眠るシエナの土。

この二つは、同じ大地の栄養を分け合った兄弟のような存在と言えるかもしれません。





巨匠たちが「この色」を必要とした理由



ローシェンナが産業、そして芸術の世界で不動の地位を築いたのは、14世紀から16世紀にかけてのイタリア・ルネサンス期です。

当時の芸術家たち、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロにとって、ローシェンナは「魔法の色」でした。

なぜなら、この色には他の土壌顔料にはない「高い透明感」があり、他の色と混ぜた時に自然な印影を作り出すことができたのです。

 白い顔料に少しだけローシェンナを混ぜることで、血色の通った、透き通るような人間の肌を表現することができました。

ルネサンス期の画家たちは、夕日に照らされた建物の陰影や、動物の毛並みの質感をリアルにを表現するために、この色を何層も塗り重ねる「グレーズ法」に欠かせない色として重宝しました。

ローシェンナは、天然の土から作られる究極のナチュラルカラーとして、ヨーロッパ中の芸術家たちがこぞって買い求める「最高級のインク」だったのです。




「生(ロー)」と「焼き(バーント)」の使い分け



ローシェンナを語る上で欠かせないのが、その相棒である「バーントシェンナ(Burnt Sienna)」の存在です。

掘り出したままの「ロー(生)」の状態では穏やかな黄褐色ですが、この土を窯でじっくりと焼き上げると、化学反応を起こして深い赤褐色へと変化します。

これが「バーント(焼いた)」シェンナです。

画家たちは、明るい部分に「ロー」を使い、深い影の部分に「バーント」を使うことで、画面の中に完璧な調和を生み出しました。

同じ土地から生まれた「生」と「焼き」の色を使い分けることで、風景や人物に命を吹き込んでいったのです。




現代の私たちは、ボタン一つで何万色もの色を再現できます。

けれど、ローシェンナのように、特定の土地の歴史や土壌、さらにはワインの文化とまで結びついた色はそう多くありません。

その色の深みの中には、イタリア・トスカーナの太陽と、何世紀にもわたって大地を守り続けてきた人々の誇りが溶け込んでいるといえるのではないでしょうか。

前回、テーマにした『シアン』が科学の偶然なら、『ローシェンナ』は大地の必然。

色は知れば知るほど、世界を多層的に見せてくれますね。



カラースクールT.A.A
フジタ でした



2026/04/08

ケチから生まれた世紀の失敗作だった!?

シアン



プリンターで使う色としてお馴染みの「シアン」。

実はこの色、ある職人の「ケチ」から生まれた『世紀の失敗作』だったんです。

今回は、現代の印刷に欠かせない「シアン」の話です。



始まりは「赤いインク」



物語の舞台は1704年頃のドイツ・ベルリン。

主人公は、ディース・バッハという塗料業者のひとり。

彼は、以前、このブログでもご紹介した『コチニール』という、真っ赤な顔料を作ろうとしていました。

しかも、サボテンにつく虫から取れるこの貴重な赤は、非常に高価だったため、より安く、効率的に作ろうと試行錯誤していたのです。

ところが、ここで歴史を変える「事件」が起きます。



材料をケチった代償



ディースバッハは、コストを抑えるために材料を安く手に入れたいと考えました。

そこで、その材料の一つである「カリ(炭酸カリウム)」を、正規の店ではなく、錬金術師ディッペルから譲り受けることにしたのです。

これが、思わぬ結果をもたらします。

この「カリ」は、牛の血液などの不純物が混ざったものだったのです。

出来上がったのは期待していた「情熱的な赤」ではなく、見たこともないほど、深く、鮮やかな青!!

これが、現代の「シアン」のルーツが誕生した瞬間でした。

世界初の人工合成顔料「プルシアンブルー(ベルリン藍)」は、ケチ精神が生んだ実験の失敗の結果なのです。




「シアン」という名前の奇妙な関係



「シアン」という名前の語源は、ギリシャ語の「暗い青」(cyanoa)」から派生した言葉です。

実は、この名前には少し怖い側面もあります。

ミステリー小説でお馴染みの猛毒、青酸カリなどは「シアン化合物」なんです。

この毒が最初に「プルシアンブルー」から抽出されたため、同じ「シアン」の名を冠することになりました。

現代のプリンターインクとしてのシアン自体に猛毒はありませんが、名前の裏には「青い顔料から見つかった毒」という、化学の少しダークな歴史が隠されているんです。




海を渡り、葛飾北斎を魅了した「青」



このベルリン生まれの失敗作は、やがて海を越えて江戸時代の日本にやってきます。

当時の人々はこれを「ベルリンの藍」を略して「ベロ藍」と呼びました。

それまでは、藍色といえば、染料でおなじみの『藍』。

これに比べ、安価で発色が鮮やかなベロ藍は、のびやかに描けることもあって、絵師たちに大好評となりました。

もちろん、あの葛飾北斎もベロ藍に魅了された絵師の一人です。


『富嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏』


力強くうねる波、澄み渡る空。

あのドラマチックな青は、この「ベロ藍」なしには表現できませんでした。

もし、ドイツの職人が材料をケチっていなければ、北斎の代表作はもっと地味な色合いだったかもしれない……。

そう考えると、歴史の偶然に感謝したくなりますね。

現在、私たちがプリンターで使うシアンは、さらに進化を遂げた「フタロシアニン」という顔料が主役です。

「安定して大量に作れる青」の発見が、後の色彩学において、色の三原色としての「シアン」を定義する土台となったのでした。


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2026/04/01

『ピンク』に秘められた、美しき野心と知性の物語

ポンパドールピンク



この色には、ポンパドールピンクという名前がついています。
華やかで可愛らしい、ロココ調のピンクですね。

実は、この色の背景には、18世紀フランスを文字通り「プロデュース」した一人の女性の、凄まじい知性と野心が隠されているんです。


「魚屋の娘」と呼ばれた少女の、壮絶な英才教育


ポンパドール夫人・・・。

彼女の本名はジャンヌ=アントワネット・ポワソン。

後に貴族から「魚屋の娘」と蔑まれることになりますが、実際は平民ではあるものの、裕福なブルジョワ家庭の生まれでした。

父親は食糧調達官でしたが、横領の疑いで国外逃亡。

実質的には、母親の愛人であった徴税請負人のル・ノルマン・ド・トゥルヌムが、彼女の後見人として資金援助をしました。

彼女の運命を決定づけたのは、9歳の時。

占い師による「お前はいつか王の心を捉えるだろう」という予言でした。

この言葉を信じた母親は、彼女を「王にふさわしい女性」に育てるべく、当代随一の講師をつけたのです。

歌、ダンス、演劇、さらには哲学にいたるまで、最高峰の英才教育を施しました。

後に花開く彼女の『審美眼』は、天性のものというより、徹底した「投資」によって磨き上げられたスキルだったのです。


ヴェルサイユを射止めた「セルフプロデュース術」



彼女が王の公式寵姫(公妾)の座を手に入れたプロセスは、現代のマーケティング戦略さながらです。 


 ①結婚によるランクアップ
   後見人の甥であるル・ノルマン・デティオールと結婚し、貴族社会への切符を手に入れます。 
 
 ②評判のサロンを構築 
    自分のサロンを開き、超一流の知識人(ヴォルテールなど)を招待して、「パリで最も知的な美女」としてブランディングを確立

 ③王へのアプローチ
   王が狩りをする森に、わざと目立つ色の馬車で現れ、王の視線を奪い続けました。
 
 ④運命の仮面舞踏会
  ・1745年、ヴェルサイユ宮殿での舞踏会。
  ・王は「イチイの木」の仮装をし、彼女は「狩りの女神」に扮して接触
  ・美貌だけでなく、教養に裏打ちされたウィットに富んだ会話で王を虜にしたのでした。
  ・王の心を射止めた彼女は、平民出身としては異例の「侯爵夫人」の称号と、『公妾』としての地位を勝ち取ったのです。

 
『公妾』というのは、フランス語で「メートル=アン=ティトル(公式寵姫)」。

これは単なる愛人ではなく、「国王公認の愛人」という一つの官職(ポスト)のようなものでした。

だから、『公妾』になる、というのは、ヴェルサイユ宮殿内に個室を与えられ、王の公務に同行し、外交や政治にも口を出す権利(あるいは影響力)を持つということだったのです。

彼女は「運を待つ」のではなく、「運が通る道を自分で舗装した」女性と言えますね。




科学と芸術の結晶「ローズ・ポンパドール」


彼女がセーブル窯のパトロンとなったのは、単なる道楽ではありませんでした。

当時、磁器の世界を席巻していたドイツのマイセン窯に対抗し、フランスの産業と芸術の地位を世界一にするという、国家レベルの野心があったのです。

1757年、彼女の指導のもと、セーブル窯は金(ゴールド)を溶解して発色させる特殊な技法で、それまでにない鮮やかなピンクを生み出しました。

これが「ローズ・ポンパドール(ポンパドールピンク)」です。

磁器の表面に、まるでシルクのような光沢と深みのあるピンクが定着しているのを見て、貴族たちは「魔法のような技術だ」と驚愕しました。

これは当時のフランスが持つ「世界最高峰の科学力」の象徴でもあったのです。

ところが、夫人の専売特許ともいえる「セーブルのピンクの磁器」を所有できるのは、王族か、夫人と親しい一握りの超エリートだけ。

つまり、このピンクを持っていることは「私は王や夫人に認められた人間である」という最強のステータスシンボルとなりました。

 彼女がこの色のドレスを纏って宮廷に現れると、またたく間にパリ中の女性たちがピンクを身にまとうように・・・。

ロココの女王が選んだ色」として、熱狂的に受け入れられたのです。



運命を自分で切り拓いた女性の証


普通、王と夜を共にすることがなくなれば、公妾は引退し、次の女性に席を譲ります。

しかし、ポンパドール夫人は違いました。

その審美眼と知性を武器に「王の良き理解者・政治的アドバイザー」として宮殿に留まり続け、死ぬまでその地位(椅子)を誰にも譲らなかったのです。

この「知性による支配」があったからこそ、彼女が選んだ「ピンク」は、単なる流行色ではなく、フランス王宮の権威を象徴する色になったのです。



ピンクの色彩心理

 


ピンクという色の意味に『男性的』『男まさり』というキーワードがあります。

自分の運命を自分で切り開いていく、強さ、したたかさというのが、この色のメッセージだといえるでしょう。




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藤田でした