「魚屋の娘」と呼ばれた少女の、壮絶な英才教育
ポンパドール夫人・・・。
彼女の本名はジャンヌ=アントワネット・ポワソン。
後に貴族から「魚屋の娘」と蔑まれることになりますが、実際は平民ではあるものの、裕福なブルジョワ家庭の生まれでした。
父親は食糧調達官でしたが、横領の疑いで国外逃亡。
実質的には、母親の愛人であった徴税請負人のル・ノルマン・ド・トゥルヌムが、彼女の後見人として資金援助をしました。
彼女の運命を決定づけたのは、9歳の時。
占い師による「お前はいつか王の心を捉えるだろう」という予言でした。
この言葉を信じた母親は、彼女を「王にふさわしい女性」に育てるべく、当代随一の講師をつけたのです。
歌、ダンス、演劇、さらには哲学にいたるまで、最高峰の英才教育を施しました。
後に花開く彼女の『審美眼』は、天性のものというより、徹底した「投資」によって磨き上げられたスキルだったのです。
彼女が王の公式寵姫(公妾)の座を手に入れたプロセスは、現代のマーケティング戦略さながらです。
後見人の甥であるル・ノルマン・デティオールと結婚し、貴族社会への切符を手に入れます。
②サロンでの評判
自分のサロンを開き、超一流の知識人(ヴォルテールなど)を招待して、「パリで最も知的な美女」としてブランディングを確立。
③王へのアプローチ
王が狩りをする森に、わざと目立つ色の馬車で現れ、王の視線を奪い続けました。
④運命の仮面舞踏会
・1745年、ヴェルサイユ宮殿での舞踏会。
・王は「イチイの木」の仮装をし、彼女は「狩りの女神」に扮して接触。
・美貌だけでなく、教養に裏打ちされたウィットに富んだ会話で王を虜にしたのでした。
・王の心を射止めた彼女は、平民出身としては異例の「侯爵夫人」の称号と、『公妾』としての地位を勝ち取ったのです。
『公妾』というのは、フランス語で「メートル=アン=ティトル(公式寵姫)」。
これは単なる愛人ではなく、「国王公認の愛人」という一つの官職(ポスト)のようなものでした。
だから、『公妾』になる、というのは、ヴェルサイユ宮殿内に個室を与えられ、王の公務に同行し、外交や政治にも口を出す権利(あるいは影響力)を持つということだったのです。
彼女は「運を待つ」のではなく、「運が通る道を自分で舗装した」女性と言えますね。
彼女がセーブル窯のパトロンとなったのは、単なる道楽ではありませんでした。
当時、磁器の世界を席巻していたドイツのマイセン窯に対抗し、フランスの産業と芸術の地位を世界一にするという、国家レベルの野心があったのです。
1757年、彼女の指導のもと、セーブル窯は金(ゴールド)を溶解して発色させる特殊な技法で、それまでにない鮮やかなピンクを生み出しました。
これが「ローズ・ポンパドール(ポンパドールピンク)」です。
磁器の表面に、まるでシルクのような光沢と深みのあるピンクが定着しているのを見て、貴族たちは「魔法のような技術だ」と驚愕しました。
これは当時のフランスが持つ「世界最高峰の科学力」の象徴でもあったのです。
ところが、夫人の専売特許ともいえる「セーブルのピンクの磁器」を所有できるのは、王族か、夫人と親しい一握りの超エリートだけ。
つまり、このピンクを持っていることは「私は王や夫人に認められた人間である」という最強のステータスシンボルとなりました。
彼女がこの色のドレスを纏って宮廷に現れると、またたく間にパリ中の女性たちがピンクを身にまとうように・・・。
「ロココの女王が選んだ色」として、熱狂的に受け入れられたのです。
普通、王と夜を共にすることがなくなれば、公妾は引退し、次の女性に席を譲ります。
しかし、ポンパドール夫人は違いました。
その審美眼と知性を武器に「王の良き理解者・政治的アドバイザー」として宮殿に留まり続け、死ぬまでその地位(椅子)を誰にも譲らなかったのです。
この「知性による支配」があったからこそ、彼女が選んだ「ピンク」は、単なる流行色ではなく、フランス王宮の権威を象徴する色になったのです。
ピンクという色の意味に『男性的』『男まさり』というキーワードがあります。
自分の運命を自分で切り開いていく、強さ、したたかさというのが、この色のメッセージだといえるでしょう。
カラースクールT.A.A
藤田でした