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T.A.Aのカラフルブログ

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自分で気づいて 自分の中に受け入れる・・・・・
そうすることで 前に進めるのだと思うのです
      T.A.A
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カラースクールを始めるにあたって
初めてアメブロに綴ったこの思いは
今も変わりません

色も香りも
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2026/07/28

昭和コスメがもたらしたポップ革命

チェリーピンク

果実の「皮」ではなく「加工品と音楽」から生まれた色


実際のさくらんぼの色と「チェリーピンク」の色味に大きなギャップがある最大の理由は、西洋における「チェリー」という存在の捉え方にあります。

西洋の人々にとってのチェリーピンクとは、摘みたての果実の皮の色ではなく、「チェリーを加工したときに生まれる色彩」でした。

カクテルやパフェのトップにちょこんとのせられるマラスキーノ・チェリー(シロップ漬け)の鮮やかな蛍光ピンク。

果汁をギュッと絞ったときの淡いピンク色のジュース。

チェリーパイやキャンディのポップなシロップ。

西洋において「チェリーの色」とは、果実そのものの写実的な色というよりも、「甘くてワクワクする体験」を象徴するポップな色彩だったのです。

さらに、このイメージを世界中に決定づけたのが、1955年に世界的大ヒットを記録したラテン調の楽曲『チェリー・ピンク(原題:Cherry Pink and Apple Blossom White)』でした。

軽快なトランペットの音色とともに、「チェリーピンク」という言葉は「明るく、ポップで、どこか甘酸っぱい色」という世界共通の記号として、人々の心に浸透していったのです。




「伝統の赤」から「憧れのピンク」へ



この西洋生まれのポップな色彩が日本に上陸し、大きな花を咲かせたのが、戦後から高度経済成長期へと向かう昭和30年代(1950年代後半〜1960年代)のことでした。

当時の日本の化粧品文化において、「唇に塗るもの」といえば、朱赤や深紅が絶対的な王道でした。

これは、古来からの「紅(べに)」の系譜を引いていたからです。

口紅とは、大人っぽさや艶やかさを演出するためのものであり、格式高い「装い」の一部だったのです。

そこに、まるで江戸末期にやってきた黒船のごとく現れたのが、海外から輸入された最新のメイクアップ文化でした。

マックスファクターやレブロンといった海外ブランドが持ち込んだ口紅のラインナップの中に、あの鮮やかな「チェリーピンク」が存在していたのです。

当時の日本の若い女性たちにとって、チェリーピンクの口紅は衝撃的でした。

  •  従来の「赤」 
  大人の艶やかさ、伝統的、重厚感

  • 「チェリーピンク」
   アメリカンポップ、少女のような可憐さ、若々しさ、自立した明るさ

「大人っぽく見せるための赤」ではなく、「自分自身の可愛らしさを楽しむためのピンク」

昭和の少女雑誌や流行のファッション誌はこぞってこの新しい色を特集し、銀幕の女優やアイドルたちがチェリーピンクの唇で微笑みました。

和装の「紅」の文化で育ってきた日本女性にとって、チェリーピンクを唇に塗るという行為は、「新時代のポップな西洋文化を身に纏う」という最高にお洒落で、ちょっと誇らしげな体験だったのです。

こうしてチェリーピンクは、昭和のメイク史における「ポップ革命」の象徴として、日本中で爆発的に定着していきました。





「自然のありのまま」か「文化のイメージ」か



そこには、東西の色彩眼の違いが色濃く表れています。

  • 日本の色彩感・・・写実と自然への敬意
日本人は昔から、果実や花の色を名付ける際、その物体「そのままの色(自然の姿)」を正確に観察して名付けました。

「桜色」は桜の花びらの色であり、「柿色」は柿の実の橙色です。

そのため、果実の皮が赤いさくらんぼを「ピンク」と呼ぶことには、どこか違和感を覚えてしまいます。

  • 西洋の色彩感・・・文化と感情の抽象化
西洋では、自然物そのものだけでなく、「その果実が使われるシロップやカクテル」「音楽やカルチャーがもたらすハッピーな感情」までを、丸ごとキュレーションして色名に落とし込みます。

「チェリー=甘くて楽しいポップな世界観」だからこそ、あの青みを含んだハッピーなピンクが「チェリー」と名付けられたのです。


どちらが良い悪いではなく、「目の前にある自然を忠実に愛でる日本」と、「色に物語や文化のニュアンスを乗せて楽しむ西洋」という、感性のベクトル(向き)の違いがここにも表れています。

昭和のコスメブームから半世紀以上が過ぎた現代。

チェリーピンクは今、美容室の「髪色(ヘアカラー)」の世界でふたたび大ブームを巻き起こしているとのこと。

黄みを抑えた青み寄りのピンクは、髪に圧倒的なツヤ感を与え、肌の透明感を引き立ててくれる万能カラー。

ブリーチなしでも綺麗に発色することから、Z世代を中心に「透明感のある垢抜けカラー」として指名が絶えません。

2000年代のY2Kファッションの流行とも相まって、その勢いは増すばかりです。

時代が昭和から令和へと変わっても、昭和世代が「チェリーピンク」に感じたポップなときめきは、少しも色褪せていないようです。

街でチェリーピンクのコスメや髪色を見かけたときは、それは単なるピンクではなく、昭和の日本に「新しい可愛らしさ」の風を吹き込んだ、甘くてポップな情熱の色であることをぜひ思い出してみてください。



カラースクールT.A.A
藤田 たかえでした



2026/07/17

壁を伝う不変の緑が象徴する伝統と熱狂

アイビーグリーン(Ivy Green)


アイビーグリーンは、一見すると落ち着いたダークグリーンです。

ところが、この色名が誕生した背景や、日本と西洋の「蔦(ツタ)」に対する眼差しの違い、そして20世紀の若者たちを熱狂させたカルチャーとの結びつきを紐解くと、この色が持つ新たな魅力が見えてきます。



20世紀に生まれた新しいスタンダード



あなたにとっての「アイビーグリーン」は、どんな色のイメージですか?
多くの人が、クラシックな英国調のジャケットや、深い森のような、少し黄味を含んだ濃い緑色を想像されることと思います。

アイビー(Ivy)とは、イギリスをはじめとするヨーロッパの自然界に自生する、あの瑞々しくも深みのある葉が、色名の由来です。

実はこの色は、歴史が古いように見えて、色名として正式に登録されたのは1900年代初め頃。

色彩の歴史の中では比較的モダンな部類に入ります。

日本のJIS規格においても「暗い黄緑」としてしっかりと定義されていて、英語圏でもそのまま “Ivy Green” として通用する、まさに全世界共通のスタンダードな色名です。

  


似て非なる「西洋のアイビー」と「日本の蔦(つた)」・・・不変か、うつろいか



実は、西洋の「アイビー」と、私たちが日本でよく目にする「蔦(つた)」は、実はまったく異なる植物なんです。

  • 日本の蔦(ナツヅタ)
  ブドウ科ツタ属の植物。夏には鮮やかな緑で壁を覆いますが、秋になると見事な赤や黄色へと姿を変え、冬にはすべての葉を落とします。

  • 西洋のアイビー(イングリッシュ・アイビー)
  ウコギ科キヅタ属の植物。こちらは「常緑性」であり、厳しい冬の寒さの中でも枯れることなく、一年中その深い緑色を保ち続けます。  

この植物学的な違いは、そのまま両者の美意識の差へと繋がります。

古来、日本人は秋のモミジのように、季節とともにドラマチックに変化する蔦の「うつろいの美」を愛でてきました。

一方の西洋では、冬でも青々とした葉を茂らせるアイビーに対して、「永遠の生命」や「不変の忠誠」、そして「歴史の積み重ね」というポジティブな象徴性を見出したのです。

ちなみに、この西洋の常緑のアイビーが日本にやってきたのは、明治時代末期のこと。

文明開化の波とともに日本へ導入されたアイビーは、それまでの「落葉する日本の蔦」とは異なる、一年中変わらないモダンな緑の風景を日本の街並みにもたらしました。



レンガの壁と格式の象徴「アイビーリーグ」の誕生



アイビーグリーンという色が、世界中で「育ちが良く、知的な色」として認知されるようになった決定的なきっかけは、アメリカで生まれました。

それが、名門私立大学の総称である「アイビーリーグ(Ivy League)」です。 

ハーバード、イェール、プリンストン、コロンビアなど、アメリカ東海岸に位置する8つの超名門大学。

これらのキャンパスを訪れると、長い歴史を感じさせる赤レンガ造りの伝統的な校舎が建ち並んでいます。

そして、その重厚な壁面をびっしりと覆っているのが、ほかでもない「アイビー(蔦)」の緑なのです。 

1930年代、ある高名なスポーツ記者が、これらの大学のフットボール競技連盟を指して「アイビー(蔦)の絡まる校舎を持つ大学たちのリーグ」と呼んだことが、その名前の由来とされています。

アメリカのエリートたちの学び舎において、長い年月をかけてレンガを伝い、静かに成長してきたアイビーの緑は、まさに「最高峰の知性」と「伝統の格式」を象徴するステータスカラーとなったのです。




キャンパスから日本の街角へ



このアイビーリーグの学生たちが好んだライフスタイルや着こなしは、やがて「アイビーファッション(アイビールック)」という一大ジャンルへと昇華していきます。

彼らは、格式高い名門校に通いながらも、決して気取らないカジュアルなスタイルを好みました。

ネイビーのブレザーにボタンダウンのシャツ、チノパンにコインローファーを合わせるスタイルです。

そのコーディネートの中で、ネクタイやチーフ、あるいはコーデュロイパンツなどの差し色として重宝されたのが、キャンパスの壁の色そのものである「アイビーグリーン」でした。

そして1960年代、このスタイルは太平洋を渡り、日本に上陸します。

日本のファッション界の伝説である石津謙介氏のヴァンヂャケット(VAN JACKET)が、アメリカの学生たちのこの洗練されたライフスタイルを日本に紹介したのです。

当時、日本の若者たちの間でこれは単なるファッションを超えた「革命」でした。

銀座のみゆき通りには、VANの紙袋を抱え、アイビールックに身を包んだ「みゆき族」と呼ばれる若者たちが溢れかえりました。

西洋の歴史あるキャンパスで「伝統への敬意」を表していたアイビーグリーンは、昭和の日本において「最先端の若者文化と反逆のシンボル」へと劇的な変身を遂げたのです。

世界共通の色名でありながら、西洋の「不変の伝統」と、日本の「若き熱狂」というふたつの異なる物語を駆け抜けてきたアイビーグリーン。  

現代のファッションにおいて、この色はアースカラーやカーキのようなカジュアルさを持ちながらも、どこか育ちの良さを感じさせる絶妙なポジションを維持しています。

単なるトレンドカラーのように消費されて消えることがないのは、その根底に、アメリカのレンガの壁や、イギリスの深い森が持つ「揺るぎない歴史」が流れているからかもしれませんね。

アイビーに和名はあるの?

 
明治末期、この植物が日本に来た時には、まだ「アイビー」とは呼ばれていませんでした。

その頃、実は「お堅い名前」や「お洒落な漢字」で紹介されていたんです。

  • 西洋木蔦(セイヨウキヅタ)
日本に昔から自生していた「キヅタ(木蔦)」と区別するために、西洋から来たツタという意味で付けられた正式な和名です。
当時の植物図鑑にはこの名で登録されました。

  • 常春藤(じょうしゅんとう)
 中国由来の漢字表記(漢名)です。
明治・大正期の園芸書や文学においては、「常に春のように青々としている藤(つる植物)」という意味を持つ、非常にハイカラで詩的な表現として使われることもありました。 
当時は、洋館や赤レンガの建物を建てる際に、わざわざ海外から取り寄せて壁に這わせるような「知る人ぞ知る、お洒落な外来植物」という扱いでした。


カラースクールT.A.A
藤田 でした


2026/07/07

うつろう夕空とアジサイの影

ハイドレンジアブルー



西洋において、絶妙なくすみを含んだ青紫を表現する代表的な色名が 「ハイドレンジアブルー(Hydrangea Blue=アジサイの青)」 です。

今でこそヨーロッパの庭園や街角を彩る定番の花ですが、実はアジサイの原産地は日本をはじめとする東アジアです。

18世紀後半(1789年頃)、イギリスの植物学者らによってヨーロッパへもたらされたとき、その不思議な生態は現地の園芸家や貴族たちを大いに驚かせました。

土壌の酸性度によって、青から紫、ピンクへと、まるで魔法のように色を変えるからです。

しかし、ヴィクトリア朝(19世紀)のヨーロッパにおいて、アジサイは最初から歓迎されたわけではありませんでした。

当時の厳格な「花言葉」の世界において、アジサイはその大ぶりで華やかな見た目に反して実を結ばない(種が少ない)ことから、「虚栄」や「冷酷」、あるいは「高慢」といった、少し不名誉なメッセージを持つ花とされていたのです。

その風向きが変わったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのこと。

アール・ヌーヴォーの台頭や、絵画における印象派の登場により、芸術家たちは自然界の「一言では言い表せない複雑なニュアンスカラー」に目を向けるようになります。

単なる原色のブルーではなく、ピンクやグレーが複雑に溶け合ったアジサイの青紫は、急速に「エレガンスとノスタルジーの象徴」として再評価されていきました。

そして20世紀前半には、正式な色名「ハイドレンジアブルー」として、色見本帳にその名を刻むことになったのです。





現代ファッションに息づく「洗練されたくすみ」



現代において、ハイドレンジアブルーは単なる植物の色を超え、ファッションやライフスタイルの世界でなくてはならない「タイムレスな名作カラー」として君臨しています。

特に春夏コレクションのランウェイや、大人のリゾートウェアにおいて、この色は絶大な人気を誇ります。

一般的なパステルブルーが時に甘さや幼さを感じさせるのに対し、ハイドレンジアブルーが持つ「わずかな影(グレイッシュなトーン)」は、身に纏う人に知的で洗練された印象を与えるからです。

また、欧米のウェディングシーンでも、ブライズメイド(花嫁の付き添い人)のドレスや会場の装花として非常に好まれる色でもあります。

近年では、あえて少し色褪せたアジサイを思わせる「ドライ・ハイドレンジア」のようなトーンが、インテリアやコスメのトレンドカラーに選ばれるなど、そのアンニュイな美しさは、今もなおクリエイターたちを魅了し続けています。



日本の感性が生んだ「紅掛空色」という職人技



さて、この西洋を魅了した「ハイドレンジアブルー」とほぼ同じ 色を、日本では古くから 「紅掛空色(べにかけそらいろ)」 と呼んできました。

この名前の響きだけで、情景が浮かび上がってくるようです。

「空色」という明るい水色のベースに、文字通り「紅(ベニバナ)」の淡いピンクを染め重ねる(掛ける)ことで生まれる色。

それはまさに、植物の汁を何度も重ねて理想のグラデーションを作り出す、日本の染色職人の手仕事から生まれた名前でした。

この色が一躍注目を浴びたのは、江戸時代のこと。

当時、幕府によって贅沢を禁止する「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」が出され、庶民が派手な着物を着ることが禁じられました。

そこで当時の人々は、一見すると地味で落ち着いた青紫に見えながらも、実は高級な紅花を贅沢に重ねて染め上げられたこの色を、着物の裏地やチラリと見える小物に忍ばせたのです。

これこそが、江戸の町を席巻した「粋(いき)」の文化。



「完成された美」の西洋、「うつろいのプロセス」の東洋



同じひとつの青紫を巡るふたつの名前。

ここから、西洋と日本の「色の捉え方」における決定的な違いが見えてきます。


  • 西洋の色の捉え方
自然物そのものを切り取る「点」のアプローチ


西洋の「ハイドレンジアブルー」は、目の前にあるアジサイという完成された自然の造形物から、その色彩をストレートに抽出しています。

色を「ひとつの完成されたオブジェクト」として捉えるため、名前を聞いた瞬間にその花の形や質感がダイレクトに想起されます。


  • 日本の色の捉え方
時間や技法の重なりを愛でる「線」のアプローチ


一方の日本の「紅掛空色」は、色そのものの名前というよりも、「空色に紅を掛け合わせる」というプロセスや、昼から夜へと移り変わる夕暮れの時間(うつろい)そのものを名前に宿らせています。

西洋が「アジサイ」という自然の美しさをそのまま切り取って身に纏おうとしたのに対し、日本は「刻一刻と変わりゆく空の情景」を職人の手仕事によって布の上に再現しようとしました。

同じ色を目指しながらも、そのアプローチの根底にある文化のフィルターは、これほどまでに異なっているのです。


どちらがいいとか、悪いとかではなく、この違いが「文化の違い」なのです。

お互いをリスペクトしながら、ああ、そうなんだー。と受け入れる姿勢こそが、世界を平和に導いていくチカラになると思うのです。



カラースクールT.A.A
フジタ でした



2026/07/01

西洋人が見上げた空の物語

セルリアンブルー

『プラダを着た悪魔』とセルリアンブルー


映画『プラダを着た悪魔』は、ファッションに全く興味のないジャーナリスト志望のあアンディが主人公。
一流ファッション誌の鬼編集長ミランダの、無理難題に振り回されながらも成長していく物語です。

この作品に、映画史に残る名シーンとして「セルリアン」が登場します。 
衣装選びの会議中、似たような2本のベルトを前に悩むスタッフを見て、アンディが「どちらも同じに見える」と鼻で笑ってしまいます。
その瞬間、ミランダの冷徹な講義が始まります。

「あなたが着ているその安物のセーターはただの青じゃない。トップデザイナーたちが仕掛け、何億ドルもの大金と多くの人々の労働を経て、めぐり巡ってあなたがバーゲンセールで買った『セルリアン(ブルー)』よ。あなたが『ファッションなんてくだらない』と拒絶して選んだその色は、ここにいる私たちが選んだものなの」

ファッションの持つ巨大な影響力と、セルリアンブルーという色の重みを一気に分からせる、鳥肌モノの名シーンでした。




セルリアンブルーの始まり



セルリアン(Cerulean)の語源は、ラテン語で「空、天、あるいは青」を意味する「caeruleus(カエルレウス)」という言葉です。

西洋の文化において、空は単なる自然現象ではなく、とても重要な意味を持っています。

① 「天国」と「神の領域」の象徴

キリスト教の文化圏において、空(Sky / Heaven)は「神様や天使たちが住む聖なる場所」です。
地上の汚れや争いから完全に切り離された、究極の清らかさと平和がある場所だと信じられてきました。

② 「永遠」と「無限」の象徴

また、どこまでも続く空の青は、人間には決して届かない「無限」や「永遠」を意味します。
そのため、西洋の色彩心理においてセルリアンブルーのような空の青は、人々に「心の平穏」や「不変の信頼」、そして「高い知性」を感じさせる特別な色とされています。



大ブレイクのきっかけ



「セルリアンブルー」という言葉自体が英語圏の記録に登場したのはとても古く、1590年代(16世紀末)、日本でいうと豊臣秀吉の時代です。

当時は「空のような青」を文学的に表現する言葉でした。

私たちが知る「絵の具の名前や色名」として世界中に定着したのは、それからずっと後の1860年(19世紀半ば)のこと。

イギリスの老舗画材メーカーが「セルリアンブルー」という名前で新しい青い絵の具を発売したことがきっかけです。

当時、この色は大ヒットになりました。

なぜかというと、これが「画家たちがずっと求めていた、完璧な青空の色」だったからです。

それまでの青い絵の具は、暗すぎたり、逆に薄すぎたりして、昼間の澄み切った青空をリアルに描くのがとても大変でした。

そこへ登場したセルリアンブルーは、ほんの少し緑がかった、明るく鮮やかな、まさに「雲ひとつない秋の青空」そのものの色だったのです。

これに飛びついたのが、当時フランスで新しい絵画の波を起こしていた「印象派」の画家たち(モネやルノワールなど)でした。

彼らが屋外に出て、光に満ちた空をこの色で次々と描いたことで、セルリアンブルーは「空の青」の代名詞として世界中に知れ渡ることになりました。



神の青 vs 科学の青



ここで、以前このブログでご紹介した、聖母マリアの衣服に使われる聖なる青「マドンナブルー」と比較してみると、使われ方の違いに気づきます。

もちろん、マドンナブルーの方が、圧倒的に古くから使用されてきました。

🔷マドンナブルー(ウルトラマリン)
  中世(12〜13世紀頃)から宗教画の主役として、金と同じ価値を持つ宝石(ラピスラズリ)を削って作られていた、歴史上最も高貴な「神の青」

🔷セルリアンブルー
  19世紀の近代工業・化学の発展によって人工的に合成された、比較的新しい「科学の青」

つまり、マドンナブルーが「中世の教会の中で祈りを捧げるための青」だとすれば、セルリアンブルーは「近代の画家たちが外に飛び出し、太陽の下で見上げた自由な青」。

2つの青の歴史を比べると、西洋の歴史が「神の時代」から「人間の時代」へと移り変わっていくドラマが見えてくるのです。

「空の光を描いたモネ」と、「都会の流行を描いたルノワール」。

使い方は違っても、2人が共通して、この新しい青(セルリアンブルー)を使えば、今までにない新しい世界が描ける!とワクワクしたことでしょう。 

それは、西洋の人々が何千年も見上げ、憧れ続けてきた「神聖で、無限に広がる天の世界」を、科学の力で手元に再現した奇跡の色でもあったのでした。



  • 🎨 クロード・モネ『日傘をさす女性』

    モネは、風が吹き抜ける一瞬のきらめきを表現するために、セルリアンブルーをベースに、白を大胆に混ぜながら、筆の跡を残すように勢いよく空を描きました。

    それまでの古典的な絵画の「重く深い青空」とは全く違う、まぶしい太陽の光を含んだ「私たちが普段見上げているリアルな青空」が、セルリアンブルーによって初めてキャンバスに捉えられた歴史的瞬間です。

  • 🎨 ピエール=オーギュスト・ルノワール『雨傘』

    ルノワールはこの絵を数年かけて完成させたのですが、近年の科学分析によって、絵の右側(昔描いた部分)には従来の「コバルトブルー」が使われ、左側(後から描き直した部分)には当時大流行し始めていた最新の「セルリアンブルー」が使われていることが判明しました。

    セルリアンブルーが持つ独特の「ほんのり緑がかった、優しく落ち着いたトーン」が、雨の日のパリのしっとりとした空気感を美しく引き立てています。
カラースクールT.A.A
フジタ でした