「色の心理学」を中心に、五感を磨くメニューをご用意しているカラースクールです。
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T.A.Aのカラフルブログ

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      T.A.A
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初めてアメブロに綴ったこの思いは
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2026/09/22

 大地を焼いた深みのある色『バーントオレンジ』

Burnt Orange



バーントオレンジとは



バーントオレンジとは、直訳すると「焦げたオレンジ」「焼けたオレンジ」。

鮮やかなオレンジ色に、少し赤や茶色、黒を混ぜ合わせたような、深く温かみのあるアースカラーです。

名前の由来は、伝統的な絵具顔料の「バーント・シェンナ(焼成した天然土顔料)」と同様、火で加熱・焼成して色を深める製法やその質感を思い起こさせることから名付けられました。

色の名前として英語圏の文献に初めて登場したのは、1915年頃とされています。

鮮やかなビタミンカラーとは違い、日干しレンガや素焼きのテラコッタ、あるいは深まる秋の落ち葉を思わせるこの色は、見る人にぬくもりと安心感、そして成熟した大人のエネルギーを与えてくれます。



< 第1の波>1970年代

反体制と自然回帰のシンボル



ファッションの世界において、この色が最初に大きな波を起こしたのは1970年代のことです。

1960年代は宇宙開発ブーム(スペースエイジ)や、人工的なネオンカラーがもてはやされた時代でした。

その反動として、70年代の若者たちは「バック・トゥ・ネイチャー(自然回帰)」を掲げます。

ベトナム戦争への反戦運動やヒッピームーブメントと結びつき、大量生産・大量消費の人工的な社会へのアンチテーゼとして若者たちが選んだのが、大地の色=バーントオレンジでした。

太畝(ふとうね)のコーデュロイパンツ、スエードのフリンジジャケット、ざっくりとしたクロシェ(かぎ針編み)ニット……。

手仕事の温もりを感じさせるこれらのアイテムとともに、バーントオレンジは「権力に媚びない自由な若者の制服」として、ストリートファッションの主役に躍り出たのでした。



<第2の波>1996年

PRADAが仕掛けた「悪趣味の美学」



時代は流れ、1990年代。

当時のモード界は、黒や白、グレーを中心としたストイックな「ミニマリズム」の全盛期でした。

この頃、70年代に大流行したバーントオレンジや濁ったアボカドグリーンは、「古くさい実家の壁紙や家電の色」という野暮ったいレッテルを貼られ、「最もハイファッションから遠いダサい色」と見なされていました。

そこへ真っ向から喧嘩を売ったのが、デザイナーのミウッチャ・プラダです。

1996年のPRADA春夏コレクションにおいて、彼女はあえてその「ダサい色」であるバーントオレンジやレトロな幾何学模様を多用し、ランウェイに送り出しました。

従来の「美しい=エレガント(上品)」という固定観念を打ち砕いたこのコレクションは、「アグリー・シック(Ugly Chic=悪趣味の洗練)」と呼ばれ、ファッション界に激震を与えます。

誰もが着たくないと思っていた野暮ったい色が、最高に知的なモードへと鮮やかに裏返った瞬間でした。





<第3の波>そして現代

「新しいベーシック」としての復権



そして2010年代後半から現在に至るまで、バーントオレンジ(テラコッタやラストとも呼ばれます)は、第3の革命とも言える大きな復権を果たしています。

近年注目されている「クワイエット・ラグジュアリー(控えめな贅沢)」のトレンドの中で、この色は黒やベージュに代わる「新しいニュートラルカラー(新定番色)」としての地位を確立しています。

上質なレザーバッグやカシミヤのコートなど、高級感のある素材と合わさることで、黒にはない血色感と、ベージュ以上のドラマチックな存在感を放ちます。

また、性別を問わないジェンダーレスな魅力や、土や草木を連想させる自然への敬意(サステナビリティ)を表現する色としても、現代の価値観に深くフィットしているのです。


ヒッピーの反逆色から始まり、モード界の常識を覆すアグリー・シックを経て、洗練された大人の新定番へ。

時代ごとに全く違う表情を見せながら、私たちの美意識をアップデートし続けてききたバーントオレンジの物語、いかがだったでしょうか?

この秋‥‥‥。
バーントオレンジを取り入れて、さらにオシャレを楽しみたいフジタです。




カラースクールT.A.A
藤田たかえ でした


2026/09/18

特権階級から「紫」を解放した色

モーヴ(Mauve)


18歳の少年の大失敗から生まれた奇跡


物語の始まりは1856年のロンドン。
主人公は、屋根裏部屋に手作りの実験室を作って研究に没頭していた18歳の化学学生、ウィリアム・パーキンです。

当時、彼が挑んでいたのはマラリアの特効薬「キニーネ」の人工合成という野心的なテーマでした。

パーキンは、ガス灯の普及で大量の産業廃棄物として持て余されていた「コールタール」の成分を使って実験を行います。
しかし透明な薬ができるはずが、フラスコの底に残ったのはドロリとした真っ黒なタールのヘドロばかり。
実験は完全な失敗でした。

普通なら落胆してフラスコを洗って捨てる場面です。
しかしパーキンが汚れを落とそうとアルコールを注ぎ込んだ瞬間、黒い塊が溶け出し、息をのむほど鮮やかで美しい紫色の液体が現れたのです。

試しに絹の布を浸してみると見事に染まり、洗っても日に当てても色褪せません。
彼はすぐさまこれが、天然染料の弱点(退色しやすい・高価)を覆す「画期的な新物質」だと悟りました。

パーキンは大学を中退して特許を取り、世界初の合成染料工場を立ち上げます。
ゴミから美しい色が生まれた、まさに錬金術の瞬間の誕生でした。



王室を魅了し、世界を席巻した「モーヴ熱」


パーキンが作り出したこの新しい紫は、たちまちファッション業界に大旋風を巻き起こします。

火付け役となったのは、当時のヨーロッパモードの最高峰にいたフランスのウジェニー皇后でした。

彼女が「私の瞳の色を一番引き立ててくれる」とこの淡い紫のドレスを愛用したことで、パリの社交界はこぞってこの色を取り入れます。

この時、パリのファッション界が、この色の名前を当時、とても身近だったゼニアオイの花にちなんで「モーヴ」と呼んだことが、色名の定着につながりました。

イギリスでも、ヴィクトリア女王が長女の結婚式やロンドン万国博覧会でモーヴのドレスを着用したことで人気は決定的なものとなります。

さらに女王が夫を亡くした後の「半喪期(喪服の緩和期間)」に紫系の着用が許されたことも追い風となりました。

1850年代後半からのこの熱狂ぶりは凄まじく、風刺画雑誌が「モーヴ麻疹(はしか)」とからかうほど、街中がモーヴ色のドレスやリボンで溢れかえったのです。




印象派のパレットを彩り、光と影を描き出した「新しい紫」


合成染料として誕生したモーヴをはじめとする化学合成の色素は、やがて顔料(絵具)の形をとって「絵画の世界」にも革命をもたらします。

それまでの画家たちにとって、鮮やかで美しい紫色は非常に高価で、時間が経つと変色しやすい厄介な色でした。

しかし、19世紀後半に次々と誕生した新しい化学合成の紫色は、安価で発色が良く、安定していました。

この新しい色の恩恵を最も受けたのが、クロード・モネやルノワールといった「印象派」の画家たちです。

彼らは伝統的な絵画の「影=黒」という常識を捨て、戸外の豊かな光と影を表現するのに「紫」を多用しました。

印象派があまりにも紫を愛用したため、美術批評家から「ヴァイオロトマニア(紫狂い)」と評されたほどです。

モーヴに端を発する化学の進歩は、芸術家たちの目に映る世界の描き方すらも変えてしまったのです。


モーヴの真の革命、それは「紫」の民主化


モーヴの誕生がもたらした最も偉大な功績。
それは、「紫」という色を特権階級から一般市民へと解放したこと・・・つまり「色の民主化」にあります。

古代から美しい紫の染料(貝紫など)は、何千個もの巻貝をすり潰してわずかしか採れないほど希少でした。

そのためローマ皇帝や教皇、王侯貴族だけが独占できる「権力と富の象徴」だったのです。

一般市民にとって鮮やかな紫を着るなどということは夢のまた夢でした。

しかし18歳の少年の失敗から生まれた合成染料は、石炭の燃えカスから、誰もが手の届く価格で大量の紫を生み出すことを可能にしました。

街を歩く普通の女性たちが、見事な紫のシルクドレスで自分を飾れるようになったのです。

何千年も続いた「紫=特権階級のもの」という常識を、科学の力が打ち破った瞬間。

モーヴは単なる流行色ではなく、時代を動かし、社会の階層の壁を色で塗り替えた象徴なのです。


一人の青年の諦めない探求心と、色に焦がれた人々の熱狂、そして特権階級からの「色の解放」という壮大なドラマが隠された『モーブ』の物語、いかがでしたか?

この少しグレイッシュで上品な紫色の名前が、身近なゼニアオイという花の名前だったというのが、なんだかチグハグで面白いと思ったフジタです。





カラースクールT.A.A
藤田たかえ でした


2026/09/08

大学を象徴するスクールカラー

OxfordBlueとCambridgeBlue


イギリスの名門であるオックスフォード大学とケンブリッジ大学の間で毎年開催される、伝統的なスポーツ対抗戦は、競技を問わず総称して「バーシティ・マッチ(Varsity Match)」と呼ばれます。
そして非常に面白いのが、この対抗戦に出場した選手には、大学からスポーツにおける最高の栄誉として「ブルー(Blue)」という称号が与えられることです。
色の名前が、「スポーツのエリートの証」の名前そのものになっているんです。
両校のスポーツ対抗戦に出場したエリート学生ににとって、この色は彼らの誇りそのものなのです。

それぞれのスクールカラーのブルーは、こんな色。




オックスフォードからの逃亡者


英語圏で最も古い大学はオックスフォード大学で、1096年頃にはすでに教育が行われていたとされています。
そんなオックスフォードの町で1209年、大事件が起きます。

1人の学生が、地元の女性を死なせてしまうという事件が発生しました。
(事故とも殺人ともいわれています)

これに激怒した地元住民と、学生・学者たちの間で激しい暴動が起きました。


当時の市長ら地元当局は、見せしめとして学者数名を絞首刑にしてしまいます。 
 学者らは、教会の管轄下にあり、これは青天の霹靂とも思える事件でした。

この暴力と迫害から逃れるため、一部の学者たちがオックスフォードを捨てて北東へ逃げ出しました。
彼らがたどり着き、新たな学問の拠点を築いた場所こそが「ケンブリッジ」だったのです。

つまり、ケンブリッジ大学は「オックスフォードでの迫害から逃れ、飛び出した人々」によって作られたという、強烈な誕生の経緯を持っています。


600年にわたる「イギリスにおける独占状態」


それから19世紀に入るまでの約600年間、大学といえばオックスフォードとケンブリッジの2つの大学しか存在しなかったのです。
そのため、その後600年にわたって、王室の庇護、優秀な学生、資金、そして国家における政治的な影響力のすべてを、この2校だけで奪い合うことになります。
しかも、「オックスフォードは保守的で政治・哲学の伝統を重んじ、ケンブリッジは進歩的で科学や急進的な思想を好む」と言われ、宗教改革やピューリタン革命の時代にも、両校がそれぞれ異なる立場をとって思想的に対立することがありました。 



そして19世紀、舞台はスポーツへ


何百年ものあいだ「どちらが優れているか」を学問や政治の舞台で競い合ってきた両校ですが、19世紀に入ると、そのプライドのぶつかり合いがスポーツという分かりやすい形に発展します。
そのきっかけとなったのが、1829年に始まった第1回のボートレースです。
ケンブリッジ側の学生が、オックスフォードに通う旧友に挑戦状を叩きつけたことから始まりました。
これが「伝統の一戦」として注目される代表的なスポーツとして残っています。

ひとつは、ザ・ボートレース(The Boat Race)
日本の「早慶レガッタ」のモデルにもなった、世界で最も有名なアマチュアスポーツイベントの一つです。
 1829年に始まり、約200年の歴史を持ちます。  ロンドンのテムズ川(約6.8kmのコース)を舞台に、 毎年20万人以上の観客が川沿いに集まり、テレビ中継で数百万人が視聴する国民的なお祭りになっています。

もう一つが、ラグビーの「ザ・バーシティ・マッチ」
アマチュアスポーツでありながら世界中から注目され、過去にはワールドカップに出場するような各国の代表クラスの選手が、この試合に出場するために両大学で学ぶこともありました。

現在は男子競技においてケンブリッジ大学がわずかに勝ち越していますが、実力は非常に拮抗しており、毎年「今年こそは」という両校の執念が凄まじい熱気をもたらしています。



日本のWEBに潜む「もうひとつのケンブリッジブルー」


さて、ここで日本のクリエイターが陥りやすいカラーコードの罠があります。
日本のWEB色見本や辞典で「ケンブリッジブルー」と検索すると、なぜか鮮やかなシアン(#25B7C0)が表示されることが多々あります。
これは、日本の和洋色名辞典やWEBカラーサイトで「ケンブリッジブルー」として広く登録されてしまっている色です。 本来のくすんだ緑青色とは大きく異なりますが、日本のデジタル環境や一部の塗料・デザイン業界では、この鮮やかな色がケンブリッジブルーとして流通してしまっているのが現状です。
ケンブリッジの公式カラーは#85b09aという色です。




カラースクールT.A.A
藤田たかえ でした